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日々是好日

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自分史(高校時代)&小城史跡探訪

今月の
誕生花はスイセン、花言葉は“自己愛、神秘、崇高”、
誕生石はガーネット 、宝石言葉は“真実・忠実・貞操・友愛・貞操・勝利”
今月は
1月、睦月、January
今日の
誕生花は 万年青(おもと)、花言葉は“母の愛”、
誕生石は ダイヤモンド(diamond)、宝石言葉は“清浄無垢”
日の出 7:22、日の入り 17:35。月の出 15:55 、月の入り 05:39
円ドル相場 1ドル=82円61銭(29銭高)
今日は
友引、旧12月15日、冬土用入、初観音、都バス開業の日、二輪・自転車安全日、振袖火事の日、スコットが南極点に達した日
風邪、インフルエンザの季節です。手洗い・うがい、人ごみでのマスクの着用、インフルエンザ予防接種を行いましょう。天気予報(福岡)/晴れ・くもり・雪、最高/最低気温度6/0度、室内温度/10度。湿度~室外/室内(60/60%)(快適度範囲/40~66%)。熱中症・日射病情報/ほぼ安全、紫外線情報~安全、花粉症情報/来春の花粉到来は早めで、かつ多め、要注意。光化学スモッグ/なし、黄砂/なし。

ブログ/生涯現役日々是好日(第1集/2008年3月以前の投稿記事)
九州新幹線開通(平成23年3月12日)まで、あと54日

自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_2134034.jpg(写真左/母校
高校時代(昭和30年~33年)の思い出は体育祭(競技得点/応援地区別対抗戦)、文化祭(写真部)、天山登山、自転車通学(芦刈から片道10km)、受験勉強(補習授業・模擬試験)、小城公園での語らい等いろいろ、ありますが、自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_2114432.jpgその最たるは陸上部(駅伝部)に3年間、所属し、授業も、そこそこにグランドに出て、準備体操のあと、小城公園東斜面にある階段の昇り降り(まさに地獄の特訓)。そのあと、トラックを数周、走って、ロード(一般道路)へ。大体のコースは小城~久保田往復で毎日、約10km走り込んでいました。勿論、目標は県体優勝と言いたいところですが、自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21154686.jpgわが駅伝部はメンバーを揃えて出場するのがやっとの状態。その練習成果が、まず試されるのが佐賀県予選でした。本番の県体では久保田から神埼までの8kmを走り、前走者に付いて行くのがやっとでタスキを次走者につないだにすぎず、悔しい思いをしました。
部活での楽しみは練習前後の語らいもさることながら、強化合宿の一環として教育会館?(大楠の南側にあった2階建ての建物)で牛肉のすき焼き鍋を囲んでの語らいでした。その当時としては牛鍋はそう簡単に口に入らない代物でした。
駅伝部活を中心に高校時代を過ごした小城は学び(黄城)の地であり、青春がいっぱい詰まった私のお宝です。



自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21173977.jpgしかし、高校卒業後は小城を離れ、大学そして社会人となってからは転勤等もあり、どうしても同窓会とは疎遠になりがちでした。ところが昭和53年8月、小城校野球部の甲子園出場が決定し、黄城会事務局から一口2000円の寄付依頼をはじめ、応援団の編成等を通じて黄城会の総会開催等を知りました。
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21184833.jpg残念ながら、野球の方は8月8日第2試合で所沢商業(埼玉)に9対2で負けはしましたが、黄城会各支部の組織化と活性化が、なされ、大いに盛り上がりました。福岡支部も昭和54年2月に発足し、その時、初めて出席しました。
本格的に出席するようになりましたのは、卒業後25年目(43歳)に担当する本部総会当番幹事からです。自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21213910.jpg我々10回卒生は昭和58年5月3日の総会が当番期でした。M実行委員長を中心に地元及び各地区にも世話人が選任され、名簿も整備されました。この当番幹事の担当が黄城魂と同期生の仲間意識の高揚につながりました。
10回卒同期会は毎年、5月3日の本部総会後、別会場に懇親の場を設け、旧交を温めております。不定期ですが趣向を凝らしたイベントも実施しております
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21293220.jpgまた、これとは別に2~3年おきに各地区で1泊2日の同窓会をおこなっており、ちなみに平成10年(1988年)は関西(大阪/京都)、そして今年11月には関東(熱海温泉)で行います。
今年も本部総会終了後、20数名の参加者のもと〔中世の小城町史跡巡り〕を実施しました。自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21315284.jpg小城と言えば高校時代を過ごした町、小城公園・羊羹・清水の滝・鯉料理そして小京都の町と言うイメージがありますが、事あらためて歴史的に紐解いてみたことはありませんでした。多感な青春時代を過ごした小城の中世に触れてみるのも意義あることと思い、参加いたしました。

自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21385089.jpg幸いなことに同窓の友でまんがふるさと読本〔小城歴史物語「小城鍋島三代記」(注1)を監修された小城の郷土史に詳しいI君の案内で「祥光山星巌寺」、「お祇園さん(祇園社、須賀神社)」を探訪しました。
最初の「祥光山星巌寺」(禅宗の一つで黄檗宗)は小城鍋島家の菩提寺で約310年前の1690年(元禄3年)に建立されたそうです。開山は名僧の誉れ高かった潮音和尚。
入り口の楼門は1853年(嘉永5年)建立された中国式楼門で佐賀県の重要文化財に指定されており、竜宮城の形状でその風格は昔の栄華を偲ばせます。
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21403856.jpg楼門をくぐり、中に入って行きますと小城町重要文化財指定の五百羅漢(石仏/仏教の修行僧のこと)が草むらの中にひっそりと安置されています。最初は500個あったそうですが紛失したりして現在の実数はだいぶん少ないとの由。スペースもかなり余裕があり、小城町では毎年10月頃、羅漢(石仏像)彫りを一般募集しているそうです(注2)。ちなみに私自身、この公募の趣旨に賛同し、予約しました。石仏を彫り上げた暁には奉納し、五百羅漢の一像として仲間入りさせていただく予定です。
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_2144268.jpg更に奥に入って行きますと三代元武が小城藩主鍋島元茂、二代直能を弔って建立した仏殿があり、それを囲むようにしてお墓があります。またこの敷地の一角に初代藩主元茂碑やお霊屋(元茂が亡くなったとき殉死した10人の碑)等もあります。
次の探訪先は、お祇園さん(祇園社、須賀神社)。以前、鳥居をくぐって、かなりの石段を途中、何回も休憩しながら登った事はありますが今回は展望台がある千葉城址まで車で行きました。
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21461146.jpgこの展望台から小城町を見ながら、その成り立ちと歴史について、I君に説明を受けました。室町時代に千葉常胤氏が源頼朝より小城郡晴気荘の地頭職を任命され、千葉県から赴任してきたのが始まりで、今、立っている展望台一帯に祇園社を建立。その後、神社の東方に千葉城を築き、
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21481761.jpg眼下の祇園川沿いに千葉城下町が作られ、「肥前の国府」として、おおいに栄えたとの由。城下町は寛永年間に上・中・下町へと発展していき、現在の町制区画に至っています。また千葉氏は悪疫退散の祇園会(京都より)山鉾祭り(現在3台の山鉾が使われています)に代表されますように京都の文化等を積極的に取り入れ、小京都の基礎を築いたと言われております。例えば北・西・東小路の町名は京都の町名を模して付けられた名残りとか。
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_2152912.jpg私の出身地、芦刈町新村にあります須賀神社は京都・小城須賀神社の分社でないかと思われます。
また同窓のS君曰く「小城にはまだ知られていない名所・旧跡や発掘されていない遺跡等がたくさんあり、これらを何とか生かして町の観光、活性化や町おこしにつなげたい」と。
私も同感で例えば「祥光山星巌寺」にしても、一部の遺跡についてですが荒れ放題になっている個所があり、修復できればなあと願いつつ見学しました。
自分史(高校時代)&小城史跡探訪_a0093965_21593528.jpg祥光山星巌寺、千葉城址探訪を終え、小城温泉「開泉閣」にて懇親会に入りました。
最後になりましが同窓会開催の件では地元世話役のSI君、中世歴史探訪のコーディネイターI君をはじめ、関西・関東等の幹事の方々やお世話いただいた皆さんにこの誌面をお借りしましてお礼申し上げます。
(注1) 購入ご希望の方はI君までお申し込みください
(注2) 石仏彫り申し込みは小城市役所まで。                           (高校10回卒 M)
by taminamikawa1 | 2011-01-18 21:08 | 黄城会
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